王丸屋を知ってる?福津・津屋崎の愛されキャラ冨永透さんへインタビューしてきました
津屋崎千軒にある”王丸屋(おうまるや)”というお店をご存知でしょうか。
「何をやっているお店なのかよくわかってないけど、いつも人で賑わっているなぁー!」そんなイメージを持たれている方が割りと多いのではないでしょうか。
今回はそんな何だか謎めいた印象のお店「王丸屋」の人気の理由を探るべく、店主である”冨永透(とみなが とおる)”さんに直接インタビューしてきました。

みんなの縁側「王丸屋」とは

ーーさっそくですが、王丸屋って何をしてる場所ですか?
王丸屋は平たく言うと、町に開けたコミュニティスペースです。日頃からお店をオープンに開放しているので、地域の皆さんがお茶しながら自由に雑談してます。観光客の方も訪れてくれることが多いですね。
ーー「みんなの縁側」というだけありますね。ボランティアではないと思いますが、どうやってやり繰りしてるんですか?
今はレンタルスペースとして1時間900円で場所貸しをしています。王丸屋を貸し切って1日カフェをオープンされる方や、音楽ライブ、ヨガのレッスン等を開催する方もいます。また、最近では『町に泊まれる』をコンセプトとした民泊事業なんかも始めました。(民泊王丸屋はこちら)
<余談>
宮地浜にある隠れ家カフェ「IRIE CAFE」さんも、お店を常設で構える前は王丸屋でカフェ営業をしたりしていたそうです。その他、私たちが開催に関与している農家とごはんやリベラル酒場なども王丸屋を借りて開催しています。
”祖母の死”と”逃げ道”――王丸屋を始めた理由
ーー冨永さんはこれまでも町づくり関係のお仕事を?
いえ、町づくり関係の仕事はしてきていません。実は福岡教育大学を卒業後、オリエンタルランドのキャストとして千葉で働いていました。ディズニーシーですね。仕事としてやりたいことが当時は全く定まっていなくて、実家の近くにあったディズニーランドが素直に楽しそうに思えてエントリーしました。
その後、やっぱり学校の先生もやってみたい!とふつふつと思うようになってきて、改めて教員試験を受けることになり、王丸屋を始めるまでは学校の先生をずっとしていましたね。
ーー変わった経歴ですね。なぜ王丸屋を始めたんですか?
実は学校の先生という仕事が想像してた以上に大変…というか自分に合わなかったようで、今でこそ元気になりましたが、当時は心身ともに疲弊していました。辛すぎてもう無理…、と思っていた頃に、大好きだった祖母が癌で亡くなりました。
王丸屋は私の祖母が住んでいた家なのですが、祖母が昔からこの家と津屋崎という町を本当に大切にしていることは知っていました。そんな祖母が亡くなって、祖母との思い出が詰まった家が空き家になってしまったんです。

ーーそこからお祖母様の家を使って何かできないかと考え始めたんですか?
いえ、正直にお話すると、その当時は教員という仕事を辞めて逃げ帰ったような感覚の方が大きいです。ただ、この「王丸屋」という看板を守り続けたいという気持ちも少なからずありました。
王丸屋は築140年の古民家ですが、もともと明治に建てられた「塩屋」という旅館から始まり、大正初期に「王丸屋」と改名して、煉炭・氷・たばこ等を販売する燃料屋だったそうです。

ーーそんなに歴史が詰まったお家だったんですね!
逃げるように津屋崎に移り住み始めてから、これまで以上に王丸屋の歴史に触れる機会が増えました。祖父が亡くなって以降、祖母は寂しい余生を津屋崎で過ごしていたんじゃないかな〜?と勝手に思っていたのですが実際はまったく違ったようでして、最後まで町を盛り上げていたそうです。
そんな祖母の影響で、津屋崎に私が移り住み始めると「王丸屋のとこの孫が帰ってきたぞ!」と色んな方々に良くしていただきました。この町に住んでいると、今でも毎日のように祖母へ感謝する機会が増える一方なんです。それって凄いことですよね。そんなこともあって、形は違えど”王丸屋”を維持できればと思うようになったんです。
”気軽な相談所を”――今の王丸屋が誕生するまで
ーー今でこそ人が集う場所になっていますが、いつ頃から今の王丸屋スタイルになったんですか?
今の王丸屋の原点は2年半ほど前に遡りますが、「朝から晩まで誰でもどうぞの会」というイベントを始めたことがキッカケです。要するにただ王丸屋を一日中開放していて、とりあえずお店に来てくれれば私がいるので暇してる方は気軽にどうぞ〜というイベントです。
後付かもしれませんが、自分自身、教員時代に逃げ場とか気軽に相談できる場所とかが欲しかったこともあり、家と職場以外で誰もが気軽に行ける場所になればいいな、というような想いを何となく持っていた気がします。
”肩書を下ろせる場所へ”――王丸屋のこれから
ーーこれから王丸屋をどんな場所にしていきたいですか?
正直、先のことを計画立てて進めていくことがすごく苦手です。今もこうやってインタビューを受けながら「何がしたいんだろう?」って自問しています。でも何となく頭にあるのは、王丸屋にきてくれた皆さんが日頃から背負っているものから開放される場所になればいいなと思います。
ありがたいことに王丸屋に来てくれる方の中には、一般的には凄い肩書の方も来るんですよ。でも王丸屋の中ではそんなのお構いなしで、みんなフラットに楽しそうに雑談しているんです。お年寄りから子供まで、みんな分け隔てなく自然と友達って感じです。
これが今の王丸屋の良さなんじゃないかな?と思うので、そこは大切にしていけたらと思います。
読者の皆さんへメッセージ
ーー最後に読者の方へ一言メッセージいただけますか?
そうですね、王丸屋というか津屋崎の話になりますが、津屋崎は一見何かありそうで何も無い町です。でも実は色んな楽しみが暮らしの中に隠れている、そんな噛めば噛むほど味が出て来る町です。もし津屋崎に遊びにいらっしゃる機会があれば、私はいつでも王丸屋にいるので気軽に声かけてください!
インタビューを終えて
実は私たちが福津生活を始めた当初、東京都世田谷区で3年間ほど続けてきた世田谷みそ汁の会という活動の福津版「週末みそ汁の会」という定期イベントをやる場所を探していた時に王丸屋のことを知り、そこから冨永さんには本当にお世話になっています。
初めての人もよく来る人も、お年寄りも子どもたちも、すべての人たちが分け隔てなく、肩の力を抜いてくつろげる場所。それが『みんなの縁側王丸屋』。
まだ遊びに行ったことがない方は、ぜひ一度王丸屋へ遊びに行ってみてください*

投稿者プロフィール
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福津NOTE.代表/
多様性を尊重し、人間の性と業・損得勘定を受け入れ、優しい社会と暮らしを育むこと。
”余白”をテーマに、大切な人を大切にできる社会の仕組みづくりに取り組む30歳。元・築地市場の八百屋さん。
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